カテゴリ:さいたま伝( 16 )

市内の伝説〜竜じゃない編〜

こんにちは、ドロンジョですΨ(`∀´)Ψ


啓蟄を過ぎたとはいえ、まだまだ寒いですね。
これでは虫たちも今年はまだ穴の中で、二度寝中F64D.gifかもしれませんねぇ。

今年は、雪F662.gifがたくさん降って、あちこちで雪だるまやかまくらを見かけましたF65D.gif
思わぬ大雪F662.gifF662.gifF662.gifに、ヌゥも即席カッパを纏って、雪遊びF65D.gifに出かけましたF7EE.gif

c0238060_1356196.jpg


でも、もう3月も中旬。早く暖かくなってくれるのを心待ちにしていますF44D.gif


さて、前回まで市内に伝わる竜伝説を3回にわたってお伝えしてきましたが、
 竜伝説1
 竜伝説2

 竜伝説3

今回は、伝説つながりの中でも、竜ではなく、趣向を変えてみたいと思います。

以前、取材F6EE.gifF651.gifで、市内を縦断する旧中山道をてくてく歩いたことがありますF6C7.gif
その時に見つけた、市内に今も残るさまざまな伝説に関する「もの」
今回はそのうちの一部を紹介したいと思います。

まず紹介したいのは、「八百姫(やおひめ)大明神」

c0238060_1356192.jpg


場所は北区植竹町で、旧中山道から少し道を入ったところに鎮座しています。
まつわる伝説は…

昔、若狭国の漁村の娘が、“不老長寿”といわれる人魚F3D4.gifの肉を食べてしまったため、
10代の若さのまま、何百年も生き続けた。
その娘は、尼となり全国行脚して貧しい人々を助けたという。


その八百比丘尼が、市内にも滞在していたということから、
ここに祭られているんですって。


次は、少し南下して、大宮区下町にある「涙橋F6BF.gifの石碑。

c0238060_1356162.jpg


正式名称は「中の橋」というそうです。
これは、伝説ではありませんが、こんな由来があります。

昔、吉敷町のまちのはずれに、罪人の処刑場があって、
そこへ送られる罪人が、この橋の辺りで親類縁者と涙F6BF.gifの別れをしたため、
いつの頃から「涙橋F6BF.gif」と呼ばれるようになったそうです。



続いては、涙橋からもすぐ近く、大宮区吉敷町に祭られる「塩地蔵」

c0238060_1356175.jpg


ここには、こんな伝説が…

江戸時代に、娘2人を連れた浪人がこの地で病に倒れた際F39B.gif
娘たちの夢枕に立った地蔵様が塩断ちをするように告げた。
娘たちは、早速塩断ちをし、地蔵様に祈ったところ、父の病が全快した。
喜んだ娘たちは、たくさんの塩を奉納し、その後も家族で幸せF6EC.gifに暮らしたという。


このお地蔵様には、現在でも、たくさんの塩が供えられており、
多くの人が足を止めて、お参りしていますF3A6.gifF3A6.gifF3A6.gif

c0238060_1356189.jpg


隣には、3体の子育て地蔵尊も祀られています。

c0238060_1356141.jpg



いかがでしたかF65B.gif
ご存じのものがあったでしょうかF65B.gif

このほかにも、まだまだいろいろな伝説にまつわるものがあります。
もちろん旧中山道以外にも、たくさんの伝説があります。

1回では紹介しきれないので、今回はここまで。
またいつか〜F7EE.gif

(広報課 ドロンジョΨ(`∀´)Ψ)

by saitamacitypr | 2014-03-11 11:01 | さいたま伝 | Comments(0)

見沼の竜伝説 その3

こんにちは、ドロンジョですΨ(`∀´)Ψ

先日、突然「ヌゥのぬいぐるみ作ろうF3F1.gif」と思い立ちましたF395.gif

で、お裁縫道具を取り出し、ウキウキF6DE.gifと各パーツを作った結果…

予定よりかなり大きく作りあがってしまい、
ぬいぐるみにするには、無理な感じに…F39A.gif

もうテンションだだ下がりF396.gifF3EF.gifF3EF.gifF3EF.gifF3EF.gifF3EF.gif

バラバラパーツのまま、完成させることなく、数か月…
陽の目058.gifを見ることはもうないだろうと思っていましたが、
この度、「福笑い」としての活用を見出しました!F48B.gifF651.gif

c0238060_1952482.jpg


いやー、良かった、良かったF6D4.gifF651.gif


では、今回も、市内に伝わる竜伝説、いってみましょー!


でもその前に…


見沼田んぼF482.gifって、昔は「F672.gifF6B3.gif」だったんです。

江戸時代初期に、灌漑用水池「見沼溜井(みぬまためい)」となり、
その後、八代将軍 徳川吉宗(暴れん坊将軍F3CB.gifF6B1.gifで有名ですね)の命を受けた
井沢弥惣兵衛為永が工事を進め、見沼田んぼF482.gifとなりました。

今回は、その頃のお話。


 時は、江戸時代 中期。

 見沼田んぼF482.gifの開拓を命じられた井沢弥惣兵衛為永は、
 熱心に工事F3DA.gifを進めていた。

 ある晩、美しい娘F6D3.gifが弥惣兵衛を訪ねてきて、
 「沼を残してほしい」と願い出たが、
 弥惣兵衛は、その願いを受け入れなかった。

 それからというもの、工事中にけが人が出たり、
 病気が蔓延したりF39B.gifF39B.gifF39B.gif、嵐F65F.gif F641.gifF653.gifに見舞われたりと
 思うように工事が進まなくなってしまった。

 そのうち弥惣兵衛自身も病気F39B.gifになり、
 床に臥せってしまった。

 そこへ、あの時の娘F6D3.gifが再び現れ、
 「あなたの病を治す代わりに、私の願いもきいてほしい」と告げた。
 弥惣兵衛が朦朧としながら女の影を見ると、
 なんと、それは竜の形をしているではないか。
 娘が竜神の化身だと気づいた弥惣兵衛は
 「竜神様、この工事は、人々が暮らしていくためF388.gif、どうしてもやり遂げねばなりません。
 でもできる限り自然は残すようにします。」と伝えると、
 竜神は、弥惣兵衛の強い志に見沼を明け渡すことを決め、
 天に昇って行ったという。



現在、緑区の見沼自然公園に、弥惣兵衛さんの像があります。

c0238060_1952419.jpg


周囲の都市化が進んだ今も、市内に残る見沼田んぼF482.gif
弥惣兵衛さんの目にはどんな風に映っているのか…


そして、天から市内を見守る竜神様にはどんな風に見えているのでしょうか…



c0238060_1952519.jpg


そしてそして、ご先祖様の仇(?)を見上げるヌゥはなにを思うのか…


(広報課 ドロンジョΨ(`∀´)Ψ)


見沼の竜伝説 その1

見沼の竜伝説 その2
by saitamacitypr | 2014-01-28 17:18 | さいたま伝 | Comments(0)

もウマもなく、ウマどし。

AKB48の小嶋陽菜さんには、さいたま市の魅力を全国に
PRする「さいたま市観光宣伝部長」に就任していただいています。

9月に行われた「34thシングル選抜じゃんけん大会F6CC.gif」では、
さいたま市PRキャラクター「つなが竜ヌゥ」のぬいぐるみを
身につけて、日本武道館のステージに!
ありがとうございました。心から感謝です。
ちなみに、小嶋さんと一緒のステージにのぼったヌゥは、
こんな感じです。
ヌゥのぬいぐるみなので、「ヌゥぐるみ」と称します!

c0238060_14124242.jpg
【13㎝サイズのヌゥ】

さて、その小嶋陽菜さんが命名したサラブレットF6B1.gif「モンドシャルナ」
ご存じですか?
10月のJRAデビュー戦は、人気に応えて見事に1着。
続く2戦目は、先週21日(土)に行われた重賞に出走しましたが、
残念ながら、結果は6着でした。

「モンドシャルナ」の意味は、「モンド」と「シャ」が、
フランス語でそれぞれ「世界の」と「猫」。
さらに、「シャルナ」で小嶋さんの名前と掛け合わせているんですね。
おシャれで、心地よい響きで、それでいて強そうな、
とてもいいネーミングですよね。
しかも、彼は、日本競馬界が生んだ史上最強馬、
あの「ディープインパクト」の弟という超良血馬F6B1.gifF6CD.gifF6CD.gif

この後、来春のクラシックに向けて、勝ち星を積み上げれば、
「モンドシャルナ」の雄姿を、中山競馬場東京競馬場
見ることもできそうです。
2つのJRA競馬場とJR武蔵野線F6B4.gifでつながっている、
とっても便利な、さいたま市。ちょっとスゴイですよね。

ところで、競馬の生の迫力は、さいたま市内にある
「浦和競馬場」でも味わうことができます。

c0238060_1413276.jpg
【浦和競馬場 スタンド】

JRAが華麗な緑のターフコース(芝)ならば、地方競馬の醍醐味は、
何といっても、ど迫力のダートコース(砂)。
「浦和競馬場」の第4コーナーからゴールまでの直線は、200m。
砂塵を巻き上げ疾走するサラブレットの姿には
圧倒されること間違いなしですF6B1.gifF6CD.gifF6CD.gif

さいたま市は、「浦和競馬場」を管理する
「埼玉県浦和競馬組合」の構成団体です。
競馬の収益金は、さいたま市に配分されて、貴重な歳入となり、
上下水道F6BF.gifや交通網の整備F68A.gif、病院の建設F3B4.gifなど、
広く私たちの生活に役立てられています。

c0238060_1415913.jpg


浦和競馬は、26日(木)まで開催中。
詳しくは、ホームページでご確認いただきまして、
ぜひご来場ください。
JR南浦和駅から競馬場まで、無料のシャトルバスF688.gifを運行してますよ。

この「浦和競馬場」、第2次世界大戦後に制定された
「競馬法」に基づき、地方自治体の主催として、
F651.gif日本で最初に開催F651.gifされた歴史ある地方競馬の
競馬場なんですって!!

今年の2月からは、「ウインズ浦和競馬」として、
日曜日などで、JRAの勝馬投票券の発売・払戻しも始まりました。

こんな競馬場が、JR南浦和駅、JR浦和駅から徒歩約15分の
ところにあるなんて、さいたま市って、ちょっとスゴイですよね。

さらに、なんと、さいたま市には、「競馬法」が施行される以前の
昭和初期にも競馬場がありましたっ!!
その名も「大宮競馬場」

どこにあったのか、当時の行政区画でいいますと、
「宮原村大字加茂宮」、「大宮町北原」などで、
これは、現在の北区役所付近になります。

c0238060_14133482.jpg
【北区役所敷地内の「大宮競馬場建設記念碑」】

「大宮市史 第4巻F677.gif」によると、昭和2年の農林・内務省令で
「地方競馬規則」が公布され、これが「地方競馬」の名称が正式に
用いられた始まりなのだとか。

埼玉県内における競馬の開催地をめぐる激しい争奪戦を経て、
「大宮競馬場」で初競馬F6B1.gifが開催されたのが、いまから82年前の、
昭和6年12月11日ということです。
場所が決定したのが、その年の8月で、9月8日に地鎮祭が行われ、
11月末には競馬場が完成F647.gifという、アッと驚くべきスピードです。

当時は、馬券の発売が許可されず、入場券に
景品券が添付されるだけというものにもかかわらず、
「大宮市史 第4巻F677.gif」で引用された昭和6年12月12日の
東京朝日新聞の記事によると、
「ファンは未明から県下各町村から押しかけ、殊に東京方面からは
列車から大宮駅にどっと押しよせ、広い会場も仮設スタンド二ヶ所の外
場内十数万の人垣を築いた。」
とあります。

羽田競馬、川崎競馬とともに全国三大競馬といわれた大宮競馬には、
全国の地方競馬から強豪馬が出場し、なかにはサラブレットF6B1.gifもみられ、
レースの人気を集めたそうです。

昭和9年・10年には、春秋2回(8日間)の開催で入場券売り上げが、
なんと100万円の大台を突破!
これがどのようなスゴい金額だったのかというと、
少し時期は前後しますが、昭和5年度と昭和15年度における
当時の「大宮町」の年間予算額が、
35万49円と49万7,367円だったことからもわかります。
(金額は、「大宮市史 第4巻F677.gif」を参照しました。)

c0238060_14171755.jpg


しかし、やがて、戦時体制の強化の荒波が、活況を呈していた
地方競馬にも押し寄せます。

昭和13年の「国家総動員法」に続き、昭和14年に
「軍馬資源保護法」が公布されると、地方競馬も
「軍用保護馬鍛錬競走」(通称鍛錬競馬)として、新発足する
ことになり、「地方競馬規則」による競馬は、昭和14年限りで
廃止と決まりました。

大宮競馬では、8月18日からの4日間で、
お別れ競馬を行いました。
その後の鍛錬競馬は、昭和15年9月から5回にわたって
行われましたが、昭和17年2月の開催を最後に、
「大宮競馬場」は、10年間の幕を閉じたのです。
また、鍛錬競馬そのものも戦況の悪化により、昭和19年に
中止を余儀なくされたということです。

こんなにも深〜い歴史があったのですね。
やっぱり、さいたま市って、ちょっとスゴイと思いませんか。

c0238060_14152248.jpg


年が明ければ、ウマ年F6B1.gif
浦和競馬に出場する地元のサラブレットたち、
そして、「モンドシャルナ」の力強い走りに期待しましょう!!F6B1.gifF6CD.gifF6CD.gifF6CD.gif

(サンダース)

by saitamacitypr | 2013-12-24 15:43 | さいたま伝 | Comments(0)

見沼の竜伝説 その2

こんにちはF6D4.gif、ドロンジョですΨ(`∀´)Ψ

先日、エコっちが、市内の紅葉スポットをご紹介F340.gifF6A7.gifしていましたが、
気持ちの良い秋の空058.gifにつられて、
先日、ヌゥも浦和北公園でお散歩していましたF6C7.gifF7EE.gif

c0238060_147936.jpg

c0238060_846073.jpg


出会った子どもたちにも大人気でしたよF650.gif

c0238060_847116.jpg

c0238060_8471834.jpg


ところで、前回、市内に伝わる竜伝説のお話をしてから、時間が経ってしまいましたが、
今回その第2弾をお話しします。

今回のお話は「開かずの門」F3AB.gif
緑区にある国昌寺には「開かずの門」とされる門があります。

c0238060_11233231.jpg

▲国昌寺開かずの門

江戸時代に建立されたこの門には、こんな伝説が残ります。


 その昔、見沼には竜が住んでいた。
 その竜が度々沼から出てきては田畑を荒らす F65F.gifF641.gifので、
 村人たちは困り果てていた。
 そこへ、日光から帰る途中の有名な彫刻師 左甚五郎が通りかかり、
 村人たちの話を聞くと、
 竜の彫刻を彫って国昌寺の山門に掲げ、竜をそこに封じ込めた。
 その後は、竜が暴れて、田畑が荒されることはなくなった。


c0238060_11233244.jpg

c0238060_11233252.jpg

▲竜を封じ込めたとされる欄干


 ところが、程なくして、この門を葬列がくぐった際、
 村人たちが担いでいた棺が急に軽くなってしまったという。
 不思議に思った村人たちが、そっと棺を開けてみると、
 中が空っぽになっていた。
 「山門の竜が喰ってしまった」と大騒ぎになり F7F5.gifF46D.gifF39E.gifF46B.gifF7CE.gif
 それ以来、この寺は、門を閉ざしてしまったそうな。




この国昌寺の山門は、現在でも特定の日以外は、閉ざされたままだそうですF3AB.gif
通ってみたい気もするけど…F399.gif
食べられたらイヤだしな…F396.gif痛そうだし…F39A.gif

ちなみに、お話しの中に出てくる左甚五郎さんは、
日光東照宮F454.gifF455.gifF456.gifのあの「眠り猫」を彫ったとされている、彫刻師なんですよ。
すごくないですか?F37E.gif

というわけで、今回はここまで。
また次回〜F3AA.gif

(広報課 ドロンジョΨ(`∀´)Ψ)

by saitamacitypr | 2013-12-03 08:47 | さいたま伝 | Comments(0)

続・与野七福神めぐり 〜福禄寿・弁財天・布袋尊〜

突然ですが、皆さん!
さかのぼること約2か月半、猛暑F653.gifに挫折した
「与野七福神めぐり」を覚えていらっしゃいますか?
忘れてしまった方、まだ、ブログを読んでいない方は、
最初にこちらをご覧ください。


すっかり秋めいてきたF340.gifF6A7.gif10月中旬の土曜日、
心地よい秋の日差しF660.gifに誘われて、
残りの三福神を訪ねてきましたので、お伝えします。

まずは、素通りしてしまった「福禄寿」さま
会うために前回同様、北方面に向かうことにF476.gif
夏の日の失敗に懲りない私は、今日も地図を持たずに
与野本町駅F68E.gifからスタート。
そして、これも前回同様、駅広場の「中央区総合案内図」
お寺の名称と場所を確認します。

c0238060_1162247.jpg


ほどなく、無事にお寺に着いたものの、
あの、特徴ある緑の看板が見当たらない!

秋の日の好天F660.gifとは裏腹に、いきなり雲行きF665.gif
怪しくなってきました。

駅広場の案内図は、よく見たつもりだけど、
ひとまず、ここはパスして南に向かおうかと、
前回お邪魔した「恵比寿」さま「一山神社」前を
通りかかると…。

あれっ?案内板が更新F47D.gifされているF64E.gif

c0238060_1164883.jpg


しかも、ありがたいことに、七人衆の所在が
すべて表示されているではありませんか。

さらによく見ると、「氷川神社」? んっ「御嶽社」?
確か駅広場の案内板では、七福神さまがいらっしゃるとは
表示されていなかったけど…F7CE.gif
まぁ、いいか。時間はたっぷりあるし。

ということで、Uターン。「氷川神社」へと向かいます。
この「プチまち歩きF476.gifのきっかけとなった
手打ち蕎麦処「しちふくじん」がある「八幡通り」を越えると
すぐに「氷川神社」があります。

ここにいらっしゃったのが、
お目当ての「福禄寿」さまなのでした。

c0238060_1185832.jpg


「福禄寿」さまは、人生の三大目的とされる
福(幸福)、禄(身分)、寿(寿命)の
すべてを兼ね備える、すごい神様です。
「氷川神社」の境内は、意外と奥行がありました。

c0238060_118586.jpg


「福禄寿」さまに別れを告げ、次に向かうことにしたのが、
「与野公園」近くの「御嶽社」です。

目的地がはっきりして、足取りは軽くなりましたが、
前回のルートをそのままたどっていくのも、何となく気になるところ。
それは「暑さのせいだった。」と自分自身を納得させて、
「本町通り」を南下しますF476.gif

歩くこと約7〜8分、「御嶽社」付近に着きますが、
せっかくなので、「与野公園」に立ち寄り、
見ごろを迎えていたバラF7EA.gifをカメラに収めましたF6EE.gifF651.gif

c0238060_1191240.jpg

c0238060_1192326.jpg


そして、公園に隣接する「御嶽社」へ。
ここには、七福神で唯一の女神さまF3D4.gif「弁財天」さま
いらっしゃいました。しかも、緑の看板だけではなく、
立像までありました。

c0238060_1194655.jpg

c0238060_11103710.jpg


「弁財天」さまは、学問、学芸、財宝の神様で、
F6BF.gifに関係の深いところにも、まつられています。

c0238060_11105140.jpg


「御嶽社」のお社は、小さいながらも、階段を何段か上った
ところに鎮座し、周囲に生い茂る木々F487.gifとマッチングして、
とても神々しい雰囲気がありましたよF3A1.gif

さあ、いよいよラスト。残すは、お腹の大きな「布袋」さまです。
「彩の国さいたま芸術劇場」を左手に見つつ、
新大宮バイパス方面にある「圓福寺」へと向かいます。

c0238060_11105674.jpg

c0238060_11112484.jpg


「毘沙門天」さまがいらっしゃった「鈴谷大堂」と同じく、
住宅地F684.gifにある「圓福寺」は、思いがけず、立派な本堂でびっくり。

「布袋」さまは、七福神の中では唯一、実在の人物とされ、
その生き様は、見識ぶらず、威張らず。
何事にも拘らない心、度量大きく人に接する人徳から
福運大量のご利益があるそうな。

c0238060_1112214.jpg


よーく拝見すると、たしかに、福耳ですね。

ちょっとした波乱含みだった夏と秋の「与野七福神めぐり」
これにて終了です。

でも、実は、このありがたい七人衆がスポットライトF651.gifF651.gif
浴びるのは、これからの季節。
そう、お正月F3B7.gifです。

毎年1月3日に「与野七福神仮装パレード」が行われるほか、
元旦から7日までの間、福神をまつった7か所の泰安所での
記念押印、絵馬などが用意され、新年を迎えたさいたま市の彩りに
はなF368.gifを添えます。

c0238060_11352544.jpg

c0238060_11354980.jpg

c0238060_1136012.jpg


少し、気の早い話ですが、来年のお正月F3B7.gifは、
ご家族で「与野七福神めぐり」をしてみては、いかがですか。
ありがたい七人衆のことですから、
きっと、ご利益があると思いますよF6CF.gif

【追伸1】

前回の「与野七福神めぐり」のブログで出題した
上杉謙信の伝説がある、
さいたま市内のお寺
は、「大宮二十景」にも
なっている「景元寺」ですF6C9.gif
「景元寺」は、さいたま市の天然記念物に指定されているシイの木
2本あり、別名「シイノキ寺」と呼ばれています。
言い伝えによると、謙信が関東に出陣した際、このシイの木の下で
雨宿りしたそうです。
その後、謙信の家臣長尾景元がここに陣屋を構え、
やがて寺になった折に、景元の名前を取って「景元寺」と
したそうです。

【追伸2】

文化財を見学の際には、マナーを守り、保存団体、近所の方、
他の見学者の迷惑とならないようにお願いします。


(サンダース)

by saitamacitypr | 2013-11-14 09:53 | さいたま伝 | Comments(0)

与野七福神めぐり

皆さん、こんにちは。
前回のブログ当番で、手打ち蕎麦処「しちふくじん」
紹介した私が、今回ネタとしてお届けするのは…。

c0238060_1395822.jpg


まことに単純な発想で申し訳ありません。
お店の名前の由来にもなっている「与野七福神」

ご存じのように、七福神とは、さまざまな福をもたらす神様達で、
その名は、「恵比寿」、「大黒天」、「毘沙門天」、「弁財天」、
「福禄寿」、「寿老人」、「布袋」。

このありがたい7人衆が、与野本町駅周辺の神社やお寺に
まつられているのです。

というわけで、お盆が明けた土曜日に「プチまち歩きF476.gif」と
自らを奮い立たせ、埼京線の与野本町駅F68E.gifに降り立ったのが
午後1時前。

7つの寺社の名称を予習せず、
しかも、地図すら持たないという無謀さを
反省する瞬間もないほどの強烈な日差しF660.gif

「あっ、暑い。」
直ちに高架下のお店に退避したい衝動を抑えて、
駅広場に設置してあった「中央区総合案内図」
場所を確認です。

ここで、とりあえず、「恵比寿」さま、「福禄寿」さまに会うため、
北に向かうことに決定。
中央区役所保健センター庁舎方面へと歩き出します。

c0238060_13102958.jpg


日陰に沿いながら、ゆっくり、ゆっくりと歩いて約5〜6分で、
中央区役所保健センター庁舎に到着。

c0238060_13113897.jpg


ここの敷地に設置してあった「住居表示街区案内図」で、
「恵比寿」さまが、前方左の「一山神社」
いらっしゃることを再確認。

周辺は住宅が連なることから、木が生い茂る場所F487.gif
「一山神社」だろうと当たりをつけ、歩いていくと。
我ながら見事、的中F69E.gifですが…。
思いがけず、お社の裏手から
近寄ってしまい、ピシャッと門が閉ざされていて、
あえなく正面へ廻ることに。
「恵比寿」さま、大変失礼いたしました。

c0238060_13113782.jpg


そして、本町通りに出て、
立派な表札を見つけ、境内へ。

c0238060_1312191.jpgc0238060_13125984.jpg


お社の前まで行きましたが、残念ながら、「恵比寿」さまの
お顔を拝見することはできませんでした。

「恵比寿」さまは、商売繁盛F6A0.gifの神様。
毎年冬至の日にここで行われる
「一山神社冬至祭」は、市の無形民俗文化財に
指定されています。

c0238060_13125893.jpg


さて、次に向かうは、「福禄寿」さまだったことは、
暑さと、「一山神社」の入り口にあった表示板を
見たことで、すっかり忘れてしまい、本町通りを南下
することに。
目指すは、「寿老人」さまがいらっしゃる「天祖神社」です。

c0238060_13131911.jpg


しかし、遮蔽物による日陰が全くない本町通りは、
繰り返しますが、「あっ、暑い。」
時折、自転車F687.gifに乗った人とはすれ違いますが、
歩いている人は皆無…。

そうこうしているうちに、「天祖神社」へと誘導する看板の
ほんの少し先に「大黒」さまが祭られている「円乗院」
あることを発見。

c0238060_13135454.jpg

c0238060_1314792.jpg


「あっ、暑い。」とはいえ、急ぐ道中でもないので、
先に「円乗院」に向かうことに。
ところが、境内には「写真撮影禁止」の張り紙あり。
ということで、そのまま、「大黒」さまのお顔が見られるかも
確認せずに、そそくさとUターン。

ちなみに、「大黒」さまは、食物・五穀豊穣F388.gifの神様。
「恵比寿」さまと一組で信仰されることも多いそうです。

さぁ、目指すは、「与野公園」の木陰F487.gif

ではなくて、「与野公園」内にある「天祖神社」
「寿老人」さまでした。

さきほど来た道を少しだけ戻り、新大宮バイパス方面へ左折。
約5分で「与野公園」に到着。

アブラゼミの大合唱という熱烈な歓迎を受けつつ、
待望の木陰F487.gifを進み、「天祖神社」の正面に。

c0238060_1315124.jpg


ここでも、「寿老人」さまのお顔は確認に至らず。
この方は、長寿F3D8.gifの神様です。

ところで、「天祖神社」のすぐ近くには、
鎌倉期の著名な武将、畠山重忠公が
霊泉で自身の刀を洗い清めたという
縁起のある「与野銭洗弁天」がありました。

c0238060_13144476.jpg


さて、道はまだまだ半ば。
再度、「円乗院」に向かいます。
何故かというと、先ほどは、境内にも入らなかったので、
当然のことながら、次にどこに行ってよいのやら、
分からず。「あっ、暑い。」とはいえ、
我ながら情けない。

「円乗院」で表示板を見て、
次は「鈴谷大堂」に行くことを確認。
「彩の国さいたま芸術劇場」を通過して、
「与野西中学校」方面へと向かえばよいことを
頭に入れて、出発。

c0238060_13155497.jpg


ほどなく、「彩の国さいたま芸術劇場」が現れますが、

少し寄り道して、交差点を左折。「たつみ通り」を進むと、
こんな案内があります。

c0238060_1316133.jpg


この看板は、「彩の国さいたま芸術劇場」出演者の
手形レリーフ設置のご案内をするものです。
ちなみに、レリーフ設置は、中央区役所コミュニティ課が行っている
アートストリート整備事業という取組みのひとつ。

c0238060_13162025.jpg


写真は、蜷川幸雄さんが演出したシェイクスピアの
「シンベリン」に出演した阿部寛さんの手形。
この他にも、大竹しのぶさん、勝村政信さん、松坂桃李さんらの
手形リーフがあります。
なぜ、阿部寛さんを選んだかは、後ほどのお楽しみ。


寄り道終了。
「与野西中学校」前にて、校庭の先を、
見渡せば、そこには、こんもりと茂る森。
これが、目的地の「鈴谷大堂」かとニンマリ。

c0238060_13162767.jpg


しかし、その前までくると、
「与野七福神」の看板は見当たらず、がっかり。

c0238060_13173556.jpg

c0238060_13345983.jpg


鳥居の建立が文化13年(1816年)と読める天神さまを
まつった古社でありました。
天神さま、がっかりしてゴメンナサイ。

それにしても、「与野公園」にあった「弁天社」といい、
この「天神社」といい、さすが歴史のある地域には、
寺社が点在しています。

しかし、困ったのは、「鈴谷大堂」に行くのに、
どうしたらいいのかということ。
周囲には他にそれらしき木立はないし。
「住居表示街区案内図」を探すしかないと
歩き始めましたが、運悪くこれも見つからず。

「あっ、暑い。」とつぶやきながら、しばしウロウロした後、
住宅街の中にふと目に入った墓地あり。

あまり、期待もせずに向かってみると、お堂の脇には堂々とした
「与野七福神」の旗印が。
ありがたや、戦勝の神様、「毘沙門天」さま

c0238060_1329176.jpg


お堂の中の様子を見ると、真ん中に鎮座している「阿弥陀如来」。
それを守るかのように左右に「不動明王」。
「毘沙門天」さまは、右の「不動明王」のさらに右側に
いらっしゃいました。

c0238060_13294023.jpg


ちなみに、この「鈴谷大堂」。
さきほどの「弁天社」からは、ほんの1〜2分の距離でした。

時刻は、はやくも午後2時半近くに。
当然のことながら、まだまだ、「あっ、暑い。」

「まだ、3つ残っている。次の「弘法尊院」は、埼京線と
鴻沼川を越えた先になるのか。」と歩き出して、

しばらくして、聞こえてきたのは、高架を走る埼京線F68E.gifの音。

この音を聞いてしまった私は、神様にお詫びをしつつ、
残り3つを次回まわしにすることに即決して、
埼京線を越えることなく、与野本町駅F68E.gifに向かったのでした。

さて、忘れてはいけない、阿部寛さんの手形レリーフ。

越後の戦国武将、上杉謙信は「毘沙門天」さまを
信仰していたと伝えられています。
(「鈴谷大堂」の表示板にも書いてありました。)

その上杉謙信を阿部さんが
NHK大河ドラマF6DB.gif「天地人」で演じたことを、
覚えていらっしゃる方も多いでしょう。
確かドラマでも、謙信が岩窟らしき場所で、
「毘沙門天」像と向かい合うシーンがあったように
記憶しています。

ということで、突然、ここで問題ですF6CF.gif
さいたま市内には、謙信の伝説が
あるお寺があります。そのお寺は何というお寺でしょうか?

ヒントは、「大宮二十景」F64E.gif

答えは、次回の「与野七福神めぐり」で発表。 お楽しみに。

追伸 文化財を見学の際には、マナーを守り、
保存団体、近所の方、他の見学者の迷惑と
ならないようにお願いします。

(サンダース)

by saitamacitypr | 2013-08-29 15:04 | さいたま伝 | Comments(0)

見沼通船堀をご存じ〜?

まず。
なんて読むのか・・・。

みぬまつうせんぼり?
みぬまとおせんぼり?

えっ?通すの?通さないの?
はい、通しますF65A.gif
これ、みぬまつうせんぼりと読みますF3F1.gif

で、これはいったい何なのか・・・

さいたま市の東部には見沼代用水という用水路と
芝川が流れています。

芝川とは、桶川市を水源とする荒川の支流です。
その芝川を挟むように、見沼代用水東縁西縁
流れています。

で、見沼代用水とは何ぞやと。

説明しませうF6CF.gif
時は享保、世は徳川。
八代将軍吉宗が白馬にまたがり海辺を駆けるなど、
暴れん坊真っ最中の時代 F6B1.gifF6CD.gif

そんな暴れん坊の命により、
井沢弥惣兵衛為永さんという人が行った新田開発によって、
見沼田んぼができたのですF65A.gif

その見沼田んぼへ利根川から用水を引き、
新たな水源としたのです。
これが見沼代用水です。
この「新たな」というのがミソで、
もともとあった見沼用水に代わるものとして、
見沼代用水と呼ばれるようになったのですF485.gif

ここでやっと冒頭につながります。
見沼通船堀とは、そんな見沼代用水東縁西縁
そして芝川をつなぐ約1キロメートルの運河で、
見沼代用水周辺の村と江戸とを結ぶ舟運として、
開発されました。
この通船堀によって、見沼で取れた米F6AE.gifなどが江戸に運ばれ、
江戸から肥料や日用品などがもたらされましたF68D.gif


c0238060_18353281.jpg


う〜ん!
今ではトラックでブーンF68B.gif
列車でガタンゴトンF68E.gifとひとっ走りですが、
昔はこうやって川を利用して物を運んでいたんですね。

牛や馬を使って運ぶ方法もあるのでしょうがF6B1.gif
舟で運ぶ方が大量にものを運べるので、
便利だったのでしょうね F3A1.gif

しかし!
ここで一つ問題がっF7CE.gif

見沼代用水芝川をつないだ運河ですが、
その見沼代用水芝川って、約3メートルの
高低差があるんですよっF3EE.gif

3メートルって・・・。
てことは、船を浮かべられないほど
川が浅いところもあるのでは・・

ガビーン! F7F5.gif

でも!だいじょーぶ!
そんなことは昔の人も知っています!
では、どうするのか?
それは、
芝川見沼代用水の間に、途中2か所の木製の関
設けて、水位を調節して船を通すんですF6CF.gif

c0238060_18353224.jpg


なんと、まぁF65A.gif
賢いですよねF3F1.gif
脱帽です F39E.gif
今帽子かぶってないんですけどネ F399.gif


c0238060_18353276.jpg

▲水を堰き止めるための板


c0238060_18353223.jpg

▲板で水を堰き止めている様子


c0238060_18353218.jpg

▲板をはずして水を流している様子


ちなみに、木製の関を「閘(こう)門」と言います。
この見沼通船堀は昭和初期に、その役割を終えましたが、
近世の土木技術、流通経済を考える上で大変貴重なものであり、
現在では国の指定史跡となっています。

なんだもぉ見られないのかぁ・・・F3EF.gif
なんて今思いましたかF65B.gif
勘違いなら、ごめんなさいネF65A.gif

勘違いしたまま進みますF7EE.gif

なんとF65A.gif今でも「見沼通船堀東縁」で、
実際に水を流し、関を開け閉めして、
水位を調整するイベントを行っているんです。
そして、2分の1に復元した船を
一の関と二の関の間に浮かべ、
実際に見沼通船堀を通ります。


c0238060_18353298.jpg

▲毎年大勢の人が見物にきます

その名も「見沼通船堀閘門開閉実演」!
カクカクした門構えの漢字が4つ並び、
重々しい感じもしますが!
夏休みの自由研究にお一ついかがですかF65B.gif


日 時821日 水曜日
時 間10時から 13時から(計2回)
会 場 : 見沼通船堀東縁 一の関・二の関の間
交 通 : JR東浦和駅から徒歩15

c0238060_18353283.jpg



(マルコ)
 
by saitamacitypr | 2013-08-20 14:07 | さいたま伝 | Comments(0)

見沼の竜伝説 その1

みなさんご存じ、
さいたま市のPRキャラクター
つなが竜ヌゥですF650.gifc0238060_19321435.jpg


ヌゥを私の母F374.gifに初めて見せたとき…
「あら、かわいいF479.gifじゃないF65A.gifF65B.gifあ、かしらF65B.gifF65B.gifF65B.gif」と言われましたΣ( ̄ロ ̄lll)

たしかにね、とかね、

c0238060_19321438.jpg


とかね…

c0238060_19321465.jpg


いや、でも緑色だしさ、背びれあるしね… ハァ━(-д-;)━ァ...

声を大にして伝えたい!「母さん、ヌゥは、ですよ!!」


ヌゥは、日本最大規模を誇る都心緑地空間“見沼田んぼF482.gif”の主の子孫なんですF6CF.gif

c0238060_19321431.jpg


前置きが長くなりましたが、
このヌゥのご先祖様のこと、市内に数多く伝わる竜伝説について、
今回からシリーズで(?)お話ししたいと思いますF677.gif


第1回目は、「見沼の笛」


見沼田んぼが田んぼになるずっと前、
いつの頃からか、夕暮れ時になると
美しい笛の音が見沼のほとりに響き渡るようになった。
この笛の音の主は、絶世の美女F37E.gifであるとの噂がひろまり、
村の若者たちは、その姿を一目見ようと次々に出かけて行ったが、
一人として帰ってくるものはいなかった。
来る日も来る日も若者たちは村から消えて行ってしまった。

このままでは若者がひとりもいなくなってしまうと、
村人たちは心配していたF39A.gifF39A.gifF39A.gif、その頃、
この不思議な笛の音の噂は、都にも聞こえるようになっていた。
この噂を聞いた一人の武士が、笛吹きを退治しようと、見沼にやってきたF395.gif

武士が、物陰にひそみ、笛吹きが現れるのをじっと待っていると、
美しい笛の音とともに現れたのは、噂通りの美女F37E.gifF37E.gif
武士は一瞬たじろいだが、一気に切りつけた。
武士が手ごたえを感じた途端、嵐F665.gifF65F.gifF641.gifが起こり、笛吹きは姿を消してしまった。
あとには一本の笛が落ちていた。
武士は、その笛を拾い上げ、近くの神社に納めたという。



c0238060_193214100.jpg

▲笛を納めたといわれる「鷲神社(見沼区大和田町)」

数年後、この神社に、笛を見せてほしいという老婆が現れた。
神官は再三断ったが、老婆の熱意に負け、笛を見せると、
今度は一吹き吹かせて欲しいといい、神官は仕方なくこれを許した。
老婆が喜んで笛を吹くと、その音色とともに老婆は笛とともに姿を消してしまった。
空には美しい雲が、笛の音を鳴らしながら天高く昇って行ったという。

笛吹きや老婆は、見沼の竜の化身であったと伝えられている。





どうですか?
こんな不思議な伝説や昔話がたくさんあるんですF395.gif
これから、わたくしドロンジョΨ(`∀´)Ψの回で、
ひとつひとつお話ししていければと思いますF7F3.gif

私が聞いたことのある伝説なので、
「知っている話と違う!」と思われても、ご容赦くださいねF7CE.gif

また次回〜F48B.gifF7EE.gif

(広報課 ドロンジョΨ(`∀´)Ψ)

by saitamacitypr | 2013-08-14 11:08 | さいたま伝 | Comments(0)

獅子舞っ!

ガオーッ!

あっ!みなさん、こんにちは。
「マルコ」です。

突然失礼しました。
私、8月生まれの獅子座のため、
夏が近づくと、つい…F399.gif

ところで、皆さん「獅子舞」ってご存知ですか?
ちなみに、

なんとF65A.gif
さいたま市には、市の無形民俗文化財に指定されている
「獅子舞」がなんと4つもあるんですよF3F1.gif


「秋葉ささら獅子舞」(西区中釘)

c0238060_10305547.jpg


「深作ささら獅子舞」(見沼区深作)

c0238060_1030557.jpg


「田島の獅子舞」(桜区田島)

c0238060_10305521.jpg


「南部領辻の獅子舞」(緑区南部領辻)

c0238060_10305677.jpg


それぞれ発祥の経緯や由来は異なりますが、
厄除け、悪魔祓いや五穀豊穣を願い、
3頭の獅子が勇壮に舞う郷土芸能なんですF6CF.gif

それも、篠笛などの楽器を伴奏に、
お腹にくくりつけた太鼓を打ちながら舞うので、
思わず見入ってしまいますヨF7F4.gif


また、それぞれの見所も
とっても特徴的なんです!

「深作ささら獅子舞」では、
3頭の獅子が舞うなか、天狗が縦横無尽に駆け回り
悪戯をするんです。いたずらって(笑)
でも、小さな子どもが天狗に抱かれて土俵に上げられるのは
「縁起が良い」F3EE.gifとされているようですよ!

c0238060_10305618.jpg


「秋葉ささら獅子舞」では、
笛や太鼓を奏でながら行列をつくって、
奉納場所に向かう「道行(みちゆき)」

c0238060_10305682.jpg


「田島の獅子舞」では、
獅子が弓を飛び越える「弓掛(ゆみかけ)」

c0238060_10305621.jpg


「南部領辻の獅子舞」では、
地区内を獅子の一行が練り歩き、
「お神楽」を舞って村を清める「村祈祷」

c0238060_10305619.jpg


が、それぞれ見所の一つとなっています。


う〜ん!
どれも一見の価値ありですネF485.gif

しかも!どれも地元の保存会さんの努力で、
舞を現在まで受け継いできました。
それぞれの地域で、伝統芸能を継承していく。
素敵ですネF37E.gifF65A.gif
古くから受け継いでいる文化を、
いつまでも後世に伝えてほしいと思います。


これから、7・8月にかけて、

「田島の獅子舞」(7月13日土曜日)
「秋葉ささら獅子舞」(7月13日土曜日)
「深作ささら獅子舞」(8月24日土曜日)


の公開が予定されています。

夏休みにご家族で、ご覧になってはいかがですかF65A.gif
また、7月には各地の市指定無形民俗文化財が公開されるので、
併せてご覧になってはいかがでしょうF485.gif


【イベントカレンダー】
http://www.city.saitama.jp/www/genre/0000000000000/1227525755809/index.html




(マルコ)

by saitamacitypr | 2013-06-28 15:33 | さいたま伝 | Comments(0)

シリーズ「1丁目1番地」〜第1号〜

さいたま市には約300の町名がある。(さいたま市MAPより。)
そこに登場する、およそ120箇所の「1丁目1番地」
この中から、それぞれの1丁目1番地やその周辺地域にまつわる
今昔物語などのRyuu(リュウ)的に気になる事柄をピックアップして紹介します。040.gif

まず、最初に選んだのは、
「さいたま市南区白幡1丁目1番地」。
c0238060_1316611.jpg

現在「さいたま市立南浦和小学校」があります。
JR京浜東北線南浦和駅から徒歩15分、
埼京線武蔵浦和駅から徒歩13分。
東に中山道の焼米坂が通り、西に観音坂が通る。
二つの坂については、以前、「ひげG」が
「200年間昔の名前で出ています 〜 坂めぐり その四」
触れています。そちらをご覧ください。
地図については、Yahooより、お借りします。
c0238060_13165159.jpg

さいたま市南区の中でも、南側に位置する白幡(シラハタ)。
「ひげG」のアンチョコ?!「浦和市史 F677.gif」や「わがまち浦和 F677.gif」によると、
ここ白幡は、江戸時代の白幡村の地域で、
当時、近世村高662石余で戸数80戸だった。
明治22年沼影村や文蔵村などと合併して六辻村となる。
内務省が出した「武蔵国郡村誌」には、
「白幡村の東北は高く、西南は低く水田となっており、
東端を中山道、東南を与野道が通り運輸は便利である。
台地は赤土で麦作によく、水田は黒土で稲作に適す。
水利不便で時々日照りにあう。男女とも耕作に従事する。」

とあり、田畑の風景が広がっていたのかなと想像する。

明治時代の焼米坂の写真が、
さいたま市誕生10周年記念誌「Saitama10」に掲載されています。
c0238060_1361332.jpg


また、主な文化財としては、睦神社がある。
(市ホームページ「文化財紹介 睦神社社叢へ」)

(睦神社の写真)
c0238060_13173864.jpg


「ひげG」の「菩薩の坂と合体神社 〜 坂めぐり その三」
睦神社のことも触れているので、こちらもご覧ください。
少しだけ長文ですが・・・。(笑)
詳しく教えてくれます。040.gif
この地域の民俗芸能としては、
白幡観音堂の六地蔵、白幡の獅子舞、木遣歌などがある。

さて、白幡1丁目1番地にある「南浦和小学校」
c0238060_13185178.jpg

明治7年4月和光院に辻学校として開校し、
同19年、22年の改称を経て、
同36年5月現在地に校舎を新築して移転、
昭和32年11月校名を南浦和小学校とした。
詳しくは、南浦和小学校ホームページ内の「南小今昔物語」で。

全校生徒は平成24年5月1日現在で634人。
通学地域は、白幡1丁目、3丁目の一部、
根岸、神明2丁目の一部の区域となっています。
平成16年に開校130周年を迎えて、
多くの児童が焼米坂を歩いてきました。
卒業生が、このブログを見て、
「南小がテーマになってる。なつかしいなぁ〜。」
なんて思い出にふけってくれたらいいな038.gif

(Ryuu)

by saitamacitypr | 2012-10-19 14:36 | さいたま伝 | Comments(0)


※市WEBサイトのリニューアルのため、2013年12月23日以前の記事はリンクがつながらない場合があります。その場合は、市WEBサイトで検索をお願いします。 http://www.city.saitama.jp/


by saitamacitypr

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

記事ランキング

カテゴリ

全体
職員ノート
まちの話題
観光
子育て・教育
おいしー
スポーツ
さいたま伝
未分類

検索

以前の記事

2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
more...

カウンター

Free Access Counter Templates地図姫

広報課ブログについて

さいたま市ブログ運用方針はこちら


掲載内容
このブログの掲載内容は、職員の体験や個人の見解であり、必ずしも、さいたま市の意見を代表するものではありません。


コメント
コメントは承認制のため、すぐに反映しません。


レスポンス
寄せられたコメントに対するレスポンスは行いませんので、あらかじめご了承ください。


問い合わせ先
さいたま市市長公室広報課
TEL 048-829-1039
FAX 048-829-1018
さいたま市公式WEBサイト

c0238060_1695580.jpg

ブログジャンル

広報
関東

画像一覧